こんにちは、ミトギです。最近、物思いにふけることが多いです。私はよくボーッとすることが多いのですがそれは何か考え事をしていたなどということではなく本当にボーッとしているだけのことが多いです基本的に頭の中空っぽにしていることが多く何も考えていない人間。それがミトギです。

 

ですが、最近よく考え事をしています1つはポケモン サン&ムーンに今更ハマっておりそのこともう1つは周りの人と見えている景色とは本当に同じものなのだろうかとよく考えます。
私は夕日を見て、朝日を見て、晴天の空を見て、月を見て綺麗と感じます。そして同じようにこれらを美しいと感じる人が多くいます。ですが彼らは本当に私と同じものを見て美しいと言っているのか?実は私から見て吐き気を催す様な景色を見てそれを美しいと言っているのではないか、とそう考えることがあるのです。
私が見る赤がもしあなたには私が感じる黒に見えていたとしてもそれが違うと証明させる方法は無いと思うのです違う色に感じていたとしても赤を指せと言われれば同じ色を指すのだから。

それは同じように造形であったり触感に関しても同様で実は私とあなたの世界は色どころか全てが違うかもしれません、なのに見えるものが感じるものがほぼ同じであるという前提で私達は生活しています。これって凄いことではないですか?もし本当にそうなら個性のことについて考える必要なんて全く無いと思うのです。見えている世界そのものが個性と言って差し支えないのだから

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…というかそれがつまり個性なのでしょうか?人が個々に似通ったものはあっても違う価値観を持っているのは見えている世界がそもそも違うから…

 

私は常々思うのです。人間に見えないものはたくさんあるとそういう話をするとオカルトに結び付けられることが多いのですがそれは何だか短絡的な気がしてしまいます。昔からすれば地球が動いているかもと今となっては当たり前のことすら、きっとオカルトだったと思います。直接、手を触れなくてもボタンを押せばお湯が沸いたり物ができたり人とやりとりができたりする現代を見たら腰を抜かすどころかそのままショック死するかもしれません
そんな今、オカルトとは胡散臭いだけのものと捉えるのは何だか勿体無いような気がします。火のないところに煙は立たぬ。誰かが誰もいない筈の場所で不気味な女を見たといえば何かがあるのかもしれませんし、巨大な生き物が居たといえば本当にいたかもしれません、もちろん幽霊の正体見たり枯れ尾花かもしれませんがそれだけと決めつけるには早いと思う時代なんじゃないかと思ってしまいます。

科学の発達し始めた今だからこそ。

 

 

 ⚠このブログにオチや結論を求めてはいけません、あくまで妄想の打ち殴りです。